新潟中越地震 「市民生協にいがた応援記」


 10月23日に新潟中越地震が発生しました。11月2日、通常配達にはほど遠い、同じ生協の仲間の市民生協にいがたへ配達応援に行ってき ました。今回は その応援記をお届けします。

 2日の早朝、市民生協にいがたの中越センターを目指し、北陸自動車道を走っていきました。長岡が近くなるにつれ、北陸道の路面が悪くなるのを感じまし た。高速道なので、80〜90キロで走行。大きなバウンド・・・。橋脚の継ぎ目が大きく盛り上がっていました。そして至る所にひび割れ。とにかく、中越セ ンターに到着する前に何事も起きずに一安心って所。これからはじまる配達応援、不安がかき立てられます。

 長岡インターを出て、一路、中越センターへ。あちこちの瓦屋根にビニールシートがひかれ、瓦の落下があったことが伺えます。中越センターに8時に無事到 着。すでに、全国の生協の応援部隊も到着。同時にセンター泊まり込みの職員もいて、配送車両10台位のこじんまりとしたセンターですが、センターの雰囲気 からも異常事態の空気が流れています。



 自分は、震度7を観測した川口町、魚沼市(旧堀之内町)中心の配達応援。配達現地に着くまで、ペシャンコに倒壊した家があちこちに目に付きます。そし て、家屋調査で赤い札(危険)が張られた家も半数近く。川口町は、応援に行った当日も、電気・水道・ガス、何もなく、未だ避難所暮らしの方が大半でした。 最初の配達班が川口町。現地に着くまで50分くらい。通常の倍かかって到着。2班ありますが、川口町の組合員さんは家に近づけず、車庫の中で暮らしていま した。顔は精気も感じられないほど疲れ切っていて、疲労がピークになっていることが伺えます。班に注文書をお届けするのではなく、できるだけ組合員さん宅 にお届けして、安否確認と、班員の所在・困っている事などの聞き出しを行っています。商品の配達はゼロに近かったのですが、緊急物資の毛布・軍手・ジャ ケット・水などをトラックに積み込み、必要な組合員さんにお配りする、これが今の生協の配達です。ここで、ジャケットやタオルを渡し、次の班へ。川口町か ら魚沼市(旧堀之内町)に行くまで通常10分の所、和南津トンネル崩壊により迂回路を余儀なくされます。いったん小千谷市まで戻り、十日町の国道117号 にでて、魚沼市へ。3時間の迂回路。魚沼市に入ると、山肌の地面がむき出しのところが多くなります。むき出しの所はすべて崩れたとのこと。山はボロボロで す。迂回路の道でさえ、寸断 されて応急処置で通れたりとか、片側が全く崩落しているところを通過したりとか、トンネル内から大量の地下水が漏れだしていたりとか、橋のつなぎ目が20 p近くも浮き上がり、極度の凸凹。それが3時間も続きます。悲惨きわまり無かったです。

 魚沼市に着き、本格的な配送開始。魚沼市は場所により、マンホールが20〜30pも突き出て、モグラタタキができそうなほど、ツンツンしていました。そ の上に乗り上げたら大変なので、慎重にさけて運転していきます。団地の5階建て住宅もあったのですが、ほとんど留守。班で注文書をお届けするところ、組合 員さん個人に注文書をお届け。揺れが比較的小さい地区では商品の配送もあり、新潟の組合員さんと、お話をする機会もありました。

 配達は2時間程度で終了。これから、魚沼市、小千谷市、川口町の避難所への訪問に行きました。自衛隊の仮設のお風呂から出てくる住民の方の笑顔が忘れら れません。それぞれの避難所の掲示板に、生協からの連絡を貼り付け、そこで会える組合員さんと、現状のお話をします。普段お会いできない組合員さんともお 会いし、一刻も早い復興をねがわずにはいられませんでした。避難所に併設してあるボランティア受付センターにも顔を出し、生協職員のボランティアの受け入 れも依頼します。ただ、まだ指揮系統が整っていないような感じで、ボランティアの受け入れも大変な様子でした。印象が強烈な避難所は、3000人収容して いる小千谷総合体育館。新潟の生協の職員が組合員理事さんと話している間、テレビでもよく中継している体育館の様子を伺いに行きました。規模が規模だけ に、家にも帰れないストレス、プライバシーもないストレス、かぜ予防に躍起な状況、何一つとっても、極限な雰囲気でした。物資は間に合っていますが、心の ケアが現状最優先ではないか、とも感じました。




 避難所訪問も終わり、帰りの道のりはすべて渋滞。あちこちで片側交互通行や、段差による徐行運転、ひどい渋滞でした。中越センターに戻ったのは、夜の 19:30を回っていました。中越センターの職員も全員が被災者。未だに避難所生活をしている職員もいれば、つい最近、避難所を出て自宅に戻った職員もい ます。職員のストレスも限界に近いと感じました。ただ、生協のキーワードに、「お役に立つ生協活動」があります。これは、コープながのでも、市民生協にい がたでも、目指すところは共通。何があろうが配達に行くことで、組合員さんのお役に立てる第一歩が歩み出せるのではと、応援を通じて感じました。そして、 僕たちは、組合員さんから元気をもらっているんだ、とも感じました。

「何か困ったことないですか?」
「こんにちは、生協です」の次に出てくる言葉です。男は仕事に出ていて、家の力仕事ができない事情もあります。倒れた家具、散乱した食器、あさっての方向 へ動いてしまったピアノ・・・。力仕事で困ったことに応えていく、それも、毎週生協が伺っているからこそ、応援できることではないでしょうか?
まだ余震が収まらず、片づけも本格化していません。そして、もうすぐ雪が降り、新潟の中越地域も、たくさんの雪に閉ざされます。地震は過ぎても、本当のボ ランティアや復興は、継続して必要になります。今は確かに悲惨な状況です。家にも戻れない組合員さんもたくさんいます。地震の復興は、逆にこれからが正念 場です。テレビの報道では、日に日に地震の内容が小さくなっていますが、そうじゃないんです。

 今回配達応援に行った際、長野から折り鶴を持っていきました。新潟では困っている組合員さんが全員なんです。本当に小さな事ですが、折り鶴で、本当に少 しでも明るくなってもらいたいし、元気になってもらいたいと思いました。自分は一日の応援でしたが、一日で何ができるか、それは気持を伝えることと、にい がたの職員の体力的負担を軽減させることしかないのです。日本全国どこへ行っても生協は活動しています。どこへ行っても、組合員さんは毎週待っています。 新潟の組合員さんの一言ですが、「生協、本当に来たの?すごいね!」。災害を通じて、全国組織の生協のたすけあいの力、肌で感じました。これからも機会が あれば、応援に行きたいと考えています。

補足
現在、コープながのでは、毎日約10名づつ、新潟へ支援を行っています。今週は関支部長と深澤が支援に行きます。
今週、地震復興に関する募金を共同購入で行っています。みなさんのご支援、ご協力をよろしくお願いします。


担当者ニュース 「35コース カズヒロ通信」 83号に掲載